見下ろす大地と見上げる宇宙
僕が今いるのはそんな場所
まだ上へいく
ここではないどこかへ

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2006年1月2日エントリに関するお詫びと謝罪 [2009年08月06日(木)]

 当ブログ、2006年1月2日エントリの記事「動物病院」に関して、野村潤一郎先生ご本人から、削除のご指摘と事情説明をいただいたため、該当エントリを削除致しました。

 野村先生の診療や動物への想いに対し誤解を招く内容、また、主観的で、不適切な表現をしてしまったことを深くお詫び申し上げます。

 また、野村ご夫妻及び関係者の皆様にご不快な思いとご迷惑をおかけしたことを、謝罪させていただきます。

 該当記事はもちろん、それ以外に不適切な表現が含まれる過去のエントリを全て削除する共に、今後、あのような内容のエントリを行わないことをお約束致します。

 本当に申し訳ありませんでした。
Posted at 22:29 | この記事のURL | Clip!!

移転のお知らせ [2008年10月02日(木)]

 今まで何度、移転しようと思ったことでしょうか。

 初めて利用したドリコムブログには愛着もあり、また、過去に投じてきた(私にとっては)貴重な思い出のあるエントリばかりのこのスペースを離れるのは少々寂しいですが、無断で記事を消去するような運営には、さすがの私も耐え切れませんので、移転しました。

◆ 真・名も無き空の途中で ◆

 今後は上記新URLにて更新をしていこうと思いますので、皆様今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
Posted at 20:21 | お知らせ | この記事のURL | Clip!!

受け入れることと許容することは違う [2008年09月24日(水)]

 即自というのは、他人などの外界を受け入れることのできない、いうなれば赤ん坊のような状態だということはここで何度かご説明させていただいたと思うけれど、今日はその、「受け入れること」と「許容すること(良しとして認めること)」は全く違うものだということを書いてみたいと思う。

 人にはそれぞれ、色々な価値観がある。それは例えば、生まれた持った条件や、生まれ育った環境によっても変わってくるだろうし、出会いや経験によっても大きく変わってくる。僕にとっての何かを受け入れるという行為は、外界である「他人」の多様な価値観や思想を、在るべき存在として受け入れるということに他ならない。なぜなら、多様性や流動性というものは自然界(宇宙)がもつ本来の本質的な要素であって、人間自体もそれらの一部分であるのだから、それを受け入れずにいられるわけはないというのが、今の僕の根本的な考え方だ。

 人は誰でも、世の中で生きていれば、自分と同じ考えを持つ人と出会うこともあれば、自分とは全く違った考え方を持つ人と衝突することもある。ただ、人間という生き物は、他の生物・動物とは違い、ある種高度な社会性に基づいて生活する生き物だから、相手の存在や考え方を尊重し受け入れながら、それら価値観や概念などの差異や相違を上手に刷り合わせて、妥協点というか、中庸な解決策を模索して、前進していくべきものだと思う。

 それこそが僕にとっての「受け入れる」ということの基本的な姿勢であって、善悪の分別や極端な排除を元にしない、(自然界の内の)人間社会に必要とされる「調和」ということなのだと解釈している。

 しかし、世の中に存在する全てが宇宙や自然界の要素だからといって、その全てを受け入れる必要があるのかといえば、僕はそれは全く違うと思う。

 例え、対象の存在や意義を受け入れることが必要でも、受け入れたものが、人間社会というある種人工的な枠組みの中に波紋や混乱を呼び起こすものだとするならば、それは、絶対に許容するべきでものではない。人間は、悲しいかな、(是非や必要性は置いておくとして)一定のルール、例えば法律とか、憲法とか、そういったものに基づいて行動しなければいけない場面も多く、それが人間社会の中で生かされ生きていくことの難しさなのだと思う。だから、それらを大きく乱すような行為や思想などは、決して許されるものではないと思うのだ。

 例えば、リチャード・コシミズさんが自身の体験に基づき訴え続けてきた、○価というカルト組織が実行する「保険金殺人」。

 その、悪意的・意図的な行為によって命を奪われた人たちの死は、果たして「自然の流れ」なのだろうか?

 もちろん広い視野で物事を大きく捉えれば、それは「自然」なのだと思う。

 ただ、前述したように、人間という生き物はある一定の社会性に基づき生命活動を行う要素の強い集団。その枠の中で、その「死」という事実を捉えるならば、それは決して自然なことではない。

 まだ生きられた人が、誰かの手で、誰かの利益のために、命を奪われた。

 僕はそう解釈する。

 そして、それを僕は決して許容することはしない。

 (もちろんそうはいいながらも、そういった考え方に対する定義づけは非常に難しいもので、むしろ無駄で不毛なものだということも分かった上で書いている)







 ここに、一つの白いボールがあったとする。

 多くの一般大衆(テレビ真理教信者)は、そのボールが白いかどうかには興味がない。むしろ、そのボールが存在していることすら知らないのが大衆である。

 そして、ユダヤ外国金融資本に完全に支配された大手既存マスメディアは、その白いボールの存在を、大衆に知られてはまずい場合は一切報道しない。必要性があれば報道するが、必ずしも「白い」と報道するということはできない。「赤い」というかもしれないし、黒い」というかもしれない。

 そして、残念ながら大衆といわれる集団は往々にして「考える力」を持たないから、本当は白いものでも「赤」といわれれば「赤」だと思い、「黒」だといわれれば「黒」と思い込まされてしまう。なぜならそれはきっと、多くの人ははじめからボールの存在に興味がなく、ボールが何色だろうが自分には一切関係がないという日常をベースにしているからだろうと思う。

 ただ、もうこんなことは昔の感情的な僕が何度も書きなぐってきたことで、今の自分にはそれは当たり前のこと。「大衆」という名を付けた集団をなにかと分別化・差別化するつもりはない。

 今日ここで書きたいことは、「なぜメディアはそういう報道・行為」をするのかということ。

 答えは簡単。そうすることで自分たち(権力集団)の利益になるから。たったそれだけのこと。彼らは、その、たったそれだけのことのために、他者を貶めることなど平気でする。ときには戦争を捏造して、何千何万もの人々を間接的に殺害さえする。

 もちろんそれは自然の中に存在する一要素であるのだろうし、必要悪なのかもしれない。だから、僕はそれを受け入れる。

 ただし、それを許容し、許すことだけは、絶対にない。

 僕にとってなにかを受け入れることと、それを許容することは全くもって別次元のことなのだ。
 
 自分のために、他人を貶める行為。

 白であるものを、「赤」や「黒」として拡散する行為。

 それを許容できるか?

 できるわけないだろう。

 そんなことは、人間のクズの行為。偽ユダヤの連中がやっていることと寸分たりとも変わらない。それをどうして許容できるだろうか。

 もちろん人にはそれぞれ違った考え方や価値観がある。だから、白いボールの存在そのものに、なにか異議があれば、それを唱えることは必要だと思う。否定することも構わない。ただ、その存在を意図的に、私欲のために捻じ曲げた形で伝達することは、絶対に許される行為ではないと僕は思う。

 人間は社会性を持った動物で、一定のルールに基づいた「社会」という枠組みの中で生活している生き物。

 全ての存在には意味があって、それを受け入れる必要性はある。

 だが、許容はしない。許さない。

 「違っていることは、『違っている!』と、はっきりと主張する勇気」

 さだまさし氏はそんなことを言っていたけれど、今日僕が言いたいことはその一言。

 「受け入れること」と「許容すること」は全く違う。

 それは、身近なできごとであろうと、ユダヤ国際金融資本が60億を10億に減らそうとしていることだろうと、同じ。

 僕は、絶対に許さない。


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買えない [2008年09月22日(月)]

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◆ キヤノン「EOS 5D Mark II」を発表
             - 2110万画素、フルサイズ撮像素子◆


 まーくつー?2000万画素?せんさーくりーな?


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◆ 2009年 欧州向けニューモデル 「YZF-R1」発表 ◆

 ふるもでるちぇんじ?新開発えんじん?くろすぷれーん型くらんくしゃふと?

 かえねー。

 買えねぇ、かえねぇ。

 そりゃぁ欲しいさ。

 すげぇ欲しいさ。

 むちゃくちゃ欲しいさ。

 喉から手が出るほどに欲しいさ。

 でもね、40万とか140万とか、あり得ないから。

 (5DMarkUの値段、どうせ40万くらいだろうと思って書いたら、発売初期から26万円前後だと。インフレで金の価値がガンガン下がってきているというのに、大手さんだけは値下げ値下げで強気だねぇ。うらやましいよ。どういう資本形態してるんだか。まぁユダヤ企業だから仕方が無いのかねぇ)

 もうね、僕は「金」とか「物」に対する欲に縛り付けられる生活とはおさらばしたの。

 この世には、なにも存在しない。存在しないことだけが在るのが、自然界。

 幸いにして今の僕の生活は、金銭に左右されるような要素はあまりないし、生きることだけで精一杯。でもそれがものすごく心地よくて、還ることの本質を毎日学ばされる生活だ。

 メーカがどれだけ色んなもん新しく作ろうと、買う側の庶民に金が出回っていなければ消費が落ち込んで当たり前。

 カメラやバイクは無くても生きていけるけど、食べ物がなければ人間誰しも生きていけない。僕は、そんな、大事な大事な食べ物の大切さをお伝えする立場。

 でもおかしいよね。人間の一番の根源であるところの「安全な食」を生産する人たちが苦しんみながらもなんとかギリギリの生活をしているなか、不必要・・・というと御幣があるけれど、二次的なものを作る大メーカや、利益のみ優先の危険な食品メーカばっかりが利益をあげて、しかもそれらの利益のほとんどが株式システムによって、外国資本のユダヤ人の手に渡っていってしまうなんてね。ちゃんちゃらおかしい。

 ただ、先日のリーマンブラザーズの破綻からも分かるように、それらの終焉がとうとう始まったってこと。

 このタイミング、この規模。

 世の中のほとんどの人は全く気がついていないんだろうけど、僕は今、とんでもない時代に生まれて生かされているってことを痛感する。
 
 もちろん、ここでいう「とんでもない」っていうのは悪い意味を指してるんじゃなくて、「もしかしたら時代の境目を目の当たりにできるかもしれない」という意味でのとんでもなさ。

 僕は、アメリカ経済崩壊の序章は来年だと予想してた。でも、それは、今年来てしまった。

 時代の大きな入れ替えが来るのは、2012年。

 でも、それは、意外と早く来るかもしれない。

 いずれにしても、偽ユダヤ人の、偽ユダヤ人による、偽ユダヤ人のための物質過多文明はもうそろそろ終わり。

 次に来るのは、精神や心の時代。

 日本人の得意なジャンルだ。

 そろそろリセットのとき。

 まさか自分が生きているうちに、そんな経験ができるとは思いもしなかった。

 備えよう。

 僕は備えるよ。

 バイクもカメラも、食べられない。

 食べられなければ、生きれない。

 生きなければ、選ばれない。

 課せられた、役目。

 課題。

 僕は、生きる。
 
 誰のため?

 なんのため?

 なんのためでもねぇよ。

 それが、今を生きる日本人としての生き方の本質だ。
 
 そう思うから。

 そんだけ。




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お久しぶりの暮夢です [2008年09月20日(土)]

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 我が家のアイドル暮夢もようやく生後半年。犬歯二本が乳歯遺残のまま永久歯が生えてきていてちょっと心配な今日この頃だけど、あと一ヶ月くらいは様子を見るつもり。生え変わりは7ヶ月くらいまでが目安なんだとか。

 まぁとにかくこの子はおとなしくて、賢くて、半年とは思えないくらいの生意気な成長振り。なんのトラブルも起こさないからブログのネタにもならないのだ。

 伊歩が子供のころは本当にやんちゃで、毎日が大トラブルの連続で、こちらもてんてこ舞いだった。あの頃が懐かしい。

 ドイツ犬と生活してるような実感は全くない暮夢だけど、最近ちょっとだけうれしいのは、毎朝、目覚ましのアラームがなっても起きないと僕のことを起こしてくれるようになったこと。

 3時だろうが7時だろうが、アラームが10回なっても起きないと、玄関から助走をつけて思いっきり体当たりしてぶつかってくる。それでも僕が起きないと、今度は腕に噛み付いてきて唸る。手荒な愛犬w でも、僕が起きると、また大人しくぐっすり眠るという変わったヤツ。

 まだ伊歩のようにしゃべってくれたりはしないけど、暮夢には暮夢なりの愛情表現というか、伊歩とは全く違った成長振りを見るのが毎日楽しみで仕方が無い。

 足の奇形も今のところ問題ないし、歩き方も我が家に来た頃より上手になった。

 食べ物は自然栽培素材のドッグフード「Gem」と、Gem代表源平さんオススメのオージービーフで、最近の僕より健康的。

 Gemについてはまた今度ご紹介しようかな。

 最近ね、書きたいことは山ほどあるんだけど、時間がない。

 書けるときには、既に中身を忘れているという有様。

 登るって、大変だ。

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雀鬼 桜井章一 [2008年09月18日(木)]

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 僕のことをとても可愛がってくださっている、とある自然農法家Rさんのご自宅で、二人で食事をしながらリチャード・コシミズ講演会鑑賞会。

 僕みたいな陳腐な若造のいうことでも、真剣な眼差しで聴いてくださるRさん。夜遅くまで色々な話をして、沢山のことを教えていただいた。

 そのなかで、僕が全然知らない人の名前が出てきた。

 雀鬼 桜井章一。


◆ YOUTUBE 桜井章一(1) ◆

◆ YOUTUBE 桜井章一(2) ◆



 「既存マスメディアに露出する人物の99.9%はニセモノである」

は僕の持論で、その持論は相変わらずなにも変わっていない。この人の顔や目つきを見れば、大体どういうところから出てきた人かは簡単に分かるのだ。
 
 ただ、この桜井章一という人は、単純なニセモノじゃない。自分という一本の図太い芯を持っていて、映像の中でもそれはちらほらと見えるのが非常に面白かった。



 「見えないものが見えるんだよ」

 「考えるよりも、感じろ」

「還るっていうところに、いわゆる本質とか・・俺は感性取り戻せって言ってるわけだ」

 「考えすぎる人が多い。もっと感じること。俺はあんまり人間からは学ばないんだわ。動物とか自然(海)とか、そういうところにいって物事学んでくるんだけど、彼ら感じることで生きてるじゃないですか。で、感じることのほうが正解が多いんだよね」

 「考えるって、結構不誠実じゃないかなって思うんですよ」

 「考えると、不安とか怖さとかが段々出てきてしまう。迷いと弱気。負けの元だ」

 「勝つって虚しいんだよ」

 「万能っていうのは別に優れろっていうんじゃなくて、いろんなことやろうってこと」

 「温かいの、一番だよ」


 
 この映像をみた僕にとっては、この人が本当に20年間無敗なのかとか、ホンモノかニセモノかとかは、あんまり関係ない。

 ホンモノだろうがニセモノだろうが、心の中に「真なる自分」を持つことが出来ている人たちは、必ずといっていいほど並外れた感性と洞察を兼ね備えていて、どの人も、細かな手法や表現は違えども、最終的な結論は同じ。

 Rさんはこうおっしゃっていた。

 「やっぱりよ、真実ってのはよ、いつだって一つなんだよ。でもよ、真実ってのは一つだけんども、もしかしたらすっげぇ幅広いのかもしれねぇよな」

 僕もそう思う。

 僕は「即自な人間」がヘドが出るほど大嫌いだ。だから、対峙した相手がどれだけ嫌なヤツでも、どれだけニセモノだろうと、「すごい」と思えるところはきちんと受け入れて、取り入れて、吸収し、自分の中の部品として保存することにしている。

 それは、そのときは無駄に思えるようなことでも、後々、自分にとってに必ず大きな武器の一つになるということを、自身の経験で学んできた僕なりの手法。幅広く、なにかを受け入れてくれる許容範囲をもった、たったひとつの限られた「真実」に少しでも近づくための、僕なりの手法。

 考えるよりも、感じること。

 現代社会を生きる人間にとってこれほど過酷なことはないけれど、今、人類に求められている大切な要素の一つは、「それ」だと思う。




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9.06独立党勉強会にいってきた [2008年09月14日(日)]

 あ〜、僕も久しぶりにカ○さんに会いたかったなぁ・・・・・・・・・・・・・

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 ◆ 独立党勉強会大成功でした! ◆  
 

 ということで、都会から1000兆光年ほど離れたド田舎から、愛車のヴェスパを8時間半ほどかっ飛ばして、実に三ヶ月ぶりの独立党勉強会に参加してきた。

・・・・という書き出しを作ったのが、確か先週のことだったと思うんだけど、全然文章が進まずに放置プレイ。気がつけば当日の模様が動画でアップされてしまった(笑)

◆ リチャード・コシミズ 【勉強会 2008-09-06】正編(完全編)をUPLOADしました。 ◆






 ん〜、なんだろう。全てが加速度的に連鎖し始めたここ数週間。僕は今とんでもない流れの中にいる。

 小吹さんからは、「じぃくは最近見違えるように明るくなった。声も文も」と言われて少し恥ずかしかった。

 ただ、僕は今確かに水を得た魚のごとく、生きているという実感をしっかり噛み締めながら毎日を生きている。

 もちろん、いいことばかりじゃない。色々なことが身の回りに起きる。

 今の自分の感性にとっては全く理解のできない、レベルの低い感情論に巻き込まれることもある。

 
 ただ、それにも必ず意味があるのだから、原因は全て自分にあるのだということを理解し、それを真っ向から穏やかに受け入れればいい。そう思えるようになった。

 少なくとも僕は、肥料も農薬も使わずに作物を作る自然農法・自然栽培を伝えるためならば死んでもいいと本気で思っているし、その気持ちは絶対に誰にも負けない。なぜならばそれは、自然農法という要素が、独立党という組織が主張する、隠された世の中の根源とは対極にある農法であり、それを広めることは、確実に世の中を動きに直結する一つの大きな要素であるからだ。

 僕がそれを確信したのは二年前で、どうしてもそれをコシミズさんに伝えたかった。だからこそ独立党に参名して、無駄だと思っても声を上げ続けてきた。千島喜久雄氏の主張や、自然農法が、独立党の主張とどれだけ連鎖するかを確信していたからこそ、書き続けてきた。

 あれから一年。

 去年、独立党のマニフェストに関する勉強会で僕の言った「食料自給率100%の達成!」は、あっさり弾かれてしまった。「それは意味が分からない」、と。

 もちろんそれを根に持っているとかでは全く無い。物事には必ず順序がある。ただ、僕がその主張を曲げずに、変えずにいたからこそ、たったの一年でそのことの本質が根付き、浸透し、発芽した。

 その結果が、この勉強会の模様。

 熱意を持って、真剣に、前へ前へと、向上心を持ち貪欲に生きてさえいれば、正しいことは、いつか必ず正しいこととして受け入れられる。

 それが分かっただけでも、僕は今十二分に幸せだ。



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 僕は基本的に、ここでこうして殴り書きの文章を書くのは好きなんだけど、人前でしゃべるのは苦手。だから、この勉強会、改めて自分のしゃべりを聞くと、非常に詰めが甘く、伝え切れていないことが沢山あることが分かる。

 だから、それに関してはまた別のエントリをするとして、一つ驚かされたことは、コシミズさんの、少なくとも僕は今まで知らなかった自然観。


 僕が話し終えた後の質疑応答で出てきた「ガン」の話。コシミズさんの頭の中では千島医論と、自然農法・自然栽培が一瞬にして繋がっていて、僅か数分で簡潔に全ての繋がりを説明してくれた。しかも僕がつい最近知った「肝臓」のことにも、既に理解されている。

 でもって、天皇制の話の最後。

 「自然の摂理。上手く回ってんだよ世の中。」

 この一言を聞いて、僕はもう何一つとして不安なことがなくなった。リチャード・コシミズは、「自然の流れ」があることを知った上で、要所要所、見極めて必要最小限の力を上手い具合に加える手法を持っている人。

 コシミズさんに注目し続けてきたことが、なにも間違っていなかったことが分かった。そんだけ。

 もうね、最近難しいことをあーだこーだ書きたくない。(書く時間がないw)

 聴いて、感じて欲しい。

(文章むちゃくちゃですんません)



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選ばれるもの、選ばれぬもの [2008年09月10日(水)]

 「上からなにかを『教えてやる』んじゃなくて、下から大きく底上げする感覚。たまたま人より早く、知るべくして知ってしまっただけなんだから、『伝えさせていただく』っていう謙虚な姿勢、そこだけは絶対に忘れないで。」

K大将


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 6時間、青大豆の選別。ふるいを使った選別。延々と選別。

 辛い?

 まさか。

 そりゃあどんなことでも「辛い」と思えば辛くなる。でも、僕には今「辛い」と思う理由がない。

 自分の身の回りに関わらず、世の中で起こっている全てのことには自分にとって意味があることで、その意味をどこまで鋭く感覚的、体感的に捉えていくことができるかが、運命の分かれ道。僕は今、その道の途中。「学ぶこと」と「感じること」の両方の感覚を研ぎ澄ます練習中。でも、気がつくと、どちらも一緒。

 こうして、肥料も農薬も使わずに栽培された貴重な青大豆とじっくり向き合う時間は、僕にとって本当に膨大な情報量を得るための大切な。ただでさえ大豆の自給率はジリ貧状態なのだから、それはなおさらのこと。たっぷり6時間、色々なことをいただくことができた。









 まず何よりも不思議なのは、同じ品種、同じ季節、同じ畑、同じ土、同じ時間で育てられた大豆たちなのに、なにひとつとして同じものがないということ。大きいやつもいれば小さいやつもいる。色も違う。形も違う。模様も違う。味も違う。これこそが自然界のもつ複雑怪奇な多様性の表れで、人間も、それと一緒。

 誰一人として同じ人間はいないし、趣味、趣向、考え方、育った環境など、与えられた世界全てが皆違っていて、誰もがそれを抱えて必死に生きている。
 
 ただし、自然界というものはやはり厳しいもので、能力をもつものを生むこともすれば、能力のないものを生むこともある。

 もちろん、優劣の問題ではない。ただ、誰もが自然界の一部である以上、それらの影響を必ず受けるし、「ふるい」から逃れることはできない。

 陰があれば陽があり、大があれば小がある。

 ただ、人間には他の動物とは違って「意思」や「精神」がある。以前もエントリしたけれど、全てのことは自然界の流れが決めていることで、反面、人は誰でも自分の思ったとおりのところへ行くことができる。問題なのは、いつも目の前に回っている流れの中から、自分にとって本当に必要なものを正確に認識して掴み取ることができるかどうか。流れに乗りながら、流れに逆らうことができるかどうかだ。

 そんな能力を得る(?)為には、自分が今いる場所と、これからどこへ向かえばいいのかを、常に考え動くことが必要になる。

 自分の中に、たった一本でいいから「折れない芯」を持っていれば、人は、絶対にブレない。流れを読み、掴むことができるようになる。

 そして、自然界は必然的に、そういう人間を必要とする。

 選ばれるもの。選ばれぬもの。

 いや、そんな仰々しいものじゃない。

 ただ単純に、自然に近いか遠いか。それだけのこと。

 チャンスは、決してチャンスの姿では現れない。そのことに気づき、掴み取る人にだけ、本当の意味でのチャンスは訪れる。

 まずは全てを受けれて、その後ゆっくり、見抜けばいい。

 簡単なようで、難しい。

 難しいようで、とっても簡単。

 誰にだって、できる。

 
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リチャード・コシミズ札幌講演 [2008年09月04日(木)]

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◆リチャード・コシミズ札幌講演動画 公開! ◆

 独立党員I氏作成のポスターにのせて、リチャード・コシミズ札幌公園動画のお知らせ。

 ここ最近(というかずっと)色々と忙しくて、じっくり腰を据えてなにかをやるということができていないんだけど、ようやく札幌講演の動画を見ることができた。コシミズさんとも長い間お会いしていないので、久しぶりにその雄姿を見れることがうれしい。コシミズさんの口から「ユダヤ権力」という言葉を聴くだけで心がほっとする僕は、きっと異常者だろう(笑)





 相変わらずのコシミズ節は健在で、しかも氏の姿や言説は、日に日に鋭さを増しているように思える。また反面、色々なこととの相互浸透が進んでいるのか、その落ち着き払った表情や立ち居振る舞いからは、今までにはない頼もしさを感じることができた。量質転化は遠くない。

 講演の内容はそれぞれに見ていただき、それぞれが考えていただければと思う。


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 僕にとっての札幌講演は、コシミズさんの口から「農業主体の経済を作り直そう」という一言が出てきただけでも、十分すぎる意味があった。

 日本経済が近い将来訪れるであろうドル崩壊によってデフォルトに近づくことはほぼ決まったといっても過言ではない。そしてそうなったときでも、日本という島国はどういう未来をもっていて、その未来を掴み動かすだけの勢いを持っているということは既に分かったから、最近はなにも恐れることがない。

 「僕が生きているうちに、世の中かなりいい方向に動く」

 コシミズさんはこうおっしゃっていたけれど、それは僕もここ最近身の回りに起こり続けている不可思議(?)な出来事から、感じ取っていた。分からないけど、恐らく世の中連中が今思い描いているほどのことにはならないと思う。というか、もう既に先週の段階で東文化の勝ちは決まったのだから、もうなにも慌てることはない。

 あとは、勝つための流れを引き寄せるだけ。

 なんだ、結構簡単じゃん。


 
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白とか赤とか [2008年09月02日(火)]

 白いナスとか・・・・・

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 赤いオクラとか・・・・・・・・・

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 普段なかなかお目にかかれない珍しい野菜たちと出会うことが多い今日このごろ。

 陰陽表が頭に入っていると、その姿の意味がよく分かっておもしろいね。
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